黒田小開校150周記念・私の思い出(5)

今年度、黒田小学校が開校150周年を迎えました。

地域づくり協議会では、さまざまな年代の方々から、自分の小学校時代の思い出を寄稿していただきましたので、順次掲載していきます。同年代の方にとっては、きっと懐かしい思い出がよみがえってくるのではないでしょうか?

      昭和天皇お召し列車の思い出 【75歳の男性から】

黒田小学校前の東海道線は、昭和31年に電化されるまでは蒸気機関車、今でいうSLが走っていました。自分は確か3年生の時であったと思います。

写真「お召し列車(参考)」「昭和61年、名古屋~木曽川間を走るSL(一宮市立図書館蔵)」「昭和31年の黒田小」

電化される事は以前から話題になっていたので電化当日、今は学区変更で閉じられている東門(当時の正門)前で級友たちと、どんな列車が来るのか待っていると、煙の出ない電気機関車が客車を牽引して来たのを見て、皆で列車に手を振ったのが昨今のように思い出されます。

黒田小学校は東海道線の沿線にあるので、年に1~2回、国体や植樹祭で昭和天皇のお召し列車が通ります。それをお迎えするため、全校生徒が線路沿いに整列し、お召し列車の通過時、校長先生の合図で万歳三唱をしたものでした。

東京方面から来るお召し列車は、普段見ている真っ黒なSLではなく、ピカピカに磨き上げられた赤銅色で、前部の日の丸が今でも強く印象に残っています。お召し列車は一瞬の通過ですが、天皇陛下は車窓より毎回手を振ってくださっていたのが見えました。

当時は現在の少子高齢化社会とは逆で、1クラス約50名の定員で、6年生の時は6クラスあり、校歌も「1,500の我々は~」でした。

昭和34年9月、6年生の時です。伊勢湾台風が東海地方を通過し、木曽川町も甚大な被害を受けました。台風の通過時が真夜中の事で、大きく家が揺れ、朝まで生きた心地がしなかったと当時の仲間とこの話題はつきません。

当時、各先生が「このような大災害は生涯で一度あるかどうかなので、あなたたちが大人になったとき、語り継いでいきなさい。」と言われた事が記憶に残っています。