新元号「令和」と佐藤 一英(さとう いちえい)

 奈良時代に編さんされた万葉集4500首には、約1700首に植物が詠まれており、じつに3首に1首です。1位は萩で143首、2位は梅119首、3位橘(たちばな)の順となっています。

 市内の萩原町には万葉公園があります。この地は古来より地名の由来となった萩の名所として知られており、佐藤一英が万葉集巻十で詠まれた萩の歌が、この地で詠まれたと提唱したことで造られた公園です。

 佐藤一英は郷土の詩人として木曽川中学校の校歌をはじめ、尾張部の多くの校歌の作詞もしていますのでご存知の方も多いかと思います。

 佐藤一英は日本語の美しい響きを表現する七五調の韻律「聯(れん)」を生み出し、代表作に「大和し美し(やまとしうるわし)」、空海頌などがあり、これらの詩作品は棟方志功の版画によっても広く知られています。

 新元号「令和」の典拠は、太宰府長官で歌人の大伴旅人が万葉集第五巻に書いた、梅の花をめでる(梅花の宴)で詠まれた序文に由来し、万葉公園には令和誕生のきっかけとなった「初春の令月にして、気よく風和らぎ、梅は鏡前の粉をひき、蘭ははい後の香を薫らす」の歌碑と、梅が植栽されています。

 万葉集が編さんされた奈良時代は、唐より遣唐使によってもたらされた文化が発達し、梅の花を愛でる唐に習い、春をよぶ花として季節の移り変わりを感じる気持ちを梅に託してよんだ歌だそうです。

 遣唐使も終了し、鳴くよ(794)ウグイス平安京の時代になると、日本独自の文化が起こります。日本の文字である「ひらがな」もでき、女流文学が発達し紫式部、清少納言など大河ドラマ「光る君へ」の時代です。それに伴い単に花と言えば梅から桜に変わり、紀貫之が編さんした古今和歌集では、桜が75首、梅は22首と桜が多くなりました。桜は日本の自生種で、中国や朝鮮半島にもありません。春になると里、山や谷で咲きほこる桜がこの頃から日本を代表する花となりました。

一宮市内はまだまだ自然が豊かで、光明寺堤のエドヒガン桜、しだれ桜は愛知県では数少ない国の天然記念物に指定されています。

また大野極楽寺公園ではエノキの頭上に珍しいヤドリギが見受けられます。散歩がてら何かしら発見すると嬉しいものです。