「家庭訪問」

 5月の連休、夏野菜の苗を見に行くと、色とりどりの花コーナーについ立ち寄ってしまいますが、そこで思い出されるのが「家庭訪問」です。

 毎年この時期、家庭訪問に合わせて、花の苗を買って玄関先に飾っていました。玄関まわりを綺麗にして好感度をあげようというわけです。先生とは玄関で少し挨拶をする程度でしたが、1対1でお会いできる貴重な機会で、親にとっても子どもにとっても「先生が家に来られる」ことは特別な感じがしていました。

 それがいつの頃からか家庭訪問は希望制になり、その後コロナの流行もあって、先生が家の場所を確かめるだけの行事になりました。さみしいような、でも仕事を休まなくてもよくなり有り難いような、コロナがあってもなくてもこうなったのは時代の流れかなと思っています。

 私が子どもの頃は、家庭訪問は一大イベントでした。

母はお茶とお菓子を準備し、トイレには一輪挿しの花。学校から早帰りで帰った私や姉弟は、先生が来るのを今か今かと待っていました。先生は家にあがり、話し好きな母と楽しそうに話しているように見えました。私はというと、こそばゆいような気恥ずかしいようなで、先生とまともに話ができませんでした。

 子供部屋を見ていく先生、どの家でもトイレを借りる先生もいて、事前に情報をキャッチしてぬかりなく準備をしていたのが今思えば可笑しくもあります。訪問時間がずれ込むのはしょっちゅうで、順番が後ろの家庭は長いこと待たされ、子ども達は「まだか、まだか」と表に何度も様子を見に行ったものでした。

 自分の家が終わった後も、先生の車の助手席に乗って次の家まで案内し、帰りは歩いて帰ることもありました。先生の車に乗せてもらったことも、良い思い出になっています。

 コロナが5類に移行してから1年が過ぎました。色々なことが元に戻りつつありますが、コロナを機になくなったものもたくさんあります。家庭訪問はこれでいいと思っていますが、他に大切なものを失っていないか…花の苗を前に少し考えさせられました。