今年度、黒田小学校が開校150周年を迎えました。
地域づくり協議会では、さまざまな年代の方々から、自分の小学校時代の思い出を寄稿していただきましたので、順次掲載していきます。同年代の方にとっては、きっと懐かしい思い出がよみがえってくるのではないでしょうか?
なつかしい数々の思い出【48歳の男性から】
私は昭和49年生まれ、木曽川町出身で黒田小の卒業生です。私が小学生だった頃の黒田小学校は児童数が千人を超えていて、朝の登校では、学校までの通学路には小学生の長い列ができていました。私の通学路は、国鉄(今のJR)の踏切を渡って学校の北門へ向かうルートでした。登校時で一番印象に残っていることは、当時の冬は今よりも気温が低く、凍結する日が多いため、踏切近くの坂では滑って転倒する恐れがあったので、みんな慎重に歩いていたことです。集合場所近くの田んぼの日陰には、乗っても割れないほどの氷が張り、みんなが集合するまで滑って遊んでいました。
自宅周辺には、いろいろなお店がありました。八百屋、仕出し屋、駄菓子屋、文具屋、本・レコード屋、靴屋、ふとん屋、化粧品店、薬局、銭湯、ラーメン店…、思い出してみると多くの商店があったのだと驚きます。住宅は現在に比べて少なく、小さな公園が所々にあり、田畑や空き地が多かったため、遊ぶ場所には困りませんでした。
小学3年生になると、自転車の試験がありました。試験に合格できないと、公道を自転車で走ることができない校則(ルール)でした、当時はまだテレビゲームがなく、自転車が流行りだったので、友達と頑張って練習したことを覚えています。自転車の試験は、北舎の屋上でできるようになっていて、横断歩道や交差点などが本物の道路のようにペイントしてありました。
夏休みの思い出では、朝早く起きて友達と現在の138タワーが建っている辺りへカブトムシやクワガタを採りに行き、ラジオ体操が始まるまでには自宅へ戻り、ラジオ体操が終わると子ども会のキャンプでの出し物練習、その後は学校のプールへ行ったり友達と野球をしたりして遊んだりと、忙しく毎日宿題が終らない子どもでした。
現在はJRの駅がリニューアルされたこともあり、自宅周辺の様子はずいぶんと変わりました。しかし、母校の黒田小学校の外観は当時と変わりなく、大人になった今、朝の見守りや学校運営協議会などで学校に関わらせていただいておりますので、学校に足を運ぶ際には毎回懐かしい気持ちになり、自分が小学生だった頃の記憶がよみがえります。
今後も地元の伝統ある母校・黒田小学校が、これまで通り子どもたちや地元の人々にとって親しみのある大切な場所であり続けることを願っております。